ロータリアンの広場


「第二次世界大戦の真相 その2」

2680地区 PDG 田中 毅(尼崎西)
PDF版 ダウンロード

2680地区 PDG 田中 毅

 ミッドウエイ海戦に敗れたことが、戦局を大きく変えました。この作戦に参加していた日本の空母は、4隻、太平洋艦隊のアメリカ空母は3隻でした。ミッドウエイ海戦の制空権争いでは、アメリカの戦闘機50機、雷撃機70機を撃墜して、完全に勝利を収めながら、自らの空母の所在位置をアメリカ側のレーダーによって把握されていたこと、護衛の戦闘機が全て出撃していたこと、艦内の格納庫にミッドウエイ島を攻撃するために大量の爆弾を積んだ攻撃機を収容していたために、対空レーダーを装備していなかった日本艦隊は、敵の急襲に対処できず、自爆の連鎖を起こして、全ての空母を失って、結果的に惨敗しました。

 これ以降戦局はアメリカに大きく傾き、局地的に勝つことがあっても、撤退の連続となります。なおこの海戦でアメリカの主力となった空母は、真珠湾でみすみす取り逃がした空母でした。
 もしも日本がミッドウエイ海戦で勝利を収めていれば、アメリカ陸軍はヨーロッパの兵力を、アメリカ西海岸に回して本土防衛をする必要があり、ドイツがイギリスを破ってヨーロッパの覇者になっていた可能性も否定できません。

 世界一強いと自他ともに認めていた日本軍が、なぜ負けたのでしょうか。戦争の後半は物量の差であることは明白ですが、敗戦の引き金になったミッドウエイ海戦は、優れたレーダーを備え、暗号探知機能に優れたたアメリカのIT技術に負けたのです。日本の機密情報はアメリカに筒抜けでした。情報の取り扱いに弱いという日本の情報音痴は現在も続いています。

 1944年、サイパン島の日本軍が玉砕して、日本全土がB25とB29爆撃機の行動範囲に入りました。
 同年フィリピンのレイテ湾の戦闘で、初めての神風特攻隊が、沖縄戦では大量の特攻隊が出撃しました。日本が失った特攻機は2800機、アメリカ軍の損害は戦艦10隻、空母9隻、巡洋艦5隻、駆逐艦118隻、その他艦船40隻と言われています。
 1945年4月、戦艦大和と連合艦隊の残存艦9隻は、航空機の援護もなく、帰りの燃料も積まずに、沖縄に向かいました。沖縄の浅瀬で座礁して、艦砲射撃によって防衛をする海上基地になる予定だったと言われています。しかし、途中東支那海で米軍機350機の猛攻を受けて大爆発を起こして沈没してしまいした。

 アメリカ軍はB29を用いて、日本各地の大都市を無差別爆撃しました。1945年3月の東京大空襲では、10万人の市民が殺されました。木造住宅が燃えやすいことに目をつけて、大量の焼夷弾を上空から、無差別にばらまいて、大量の非戦闘員を火あぶりにして虐殺しました。なお、東京には106回、名古屋には63回大阪には8回の空襲が行われました。

 日本が降伏寸前であることを知りながら、広島にはウラニウム爆弾、長崎にはプルトニウム爆弾を落としました。広島では11万人、長崎では7万人以上の人が犠牲になりました。健康な男子は出征して、町に残っていたのは老人と女・子供ばかりでした。無駄な死者を出さずに、戦争を早く終わらせるために、原爆を使ったというのは勝者の詭弁であって、原爆の威力を人体実験したいという欲望の結果であり、虐殺のための虐殺であることは間違いありません。

 ユダヤ人の大虐殺がヒットラーの犯罪ならば、日本における民間人の大虐殺はアメリカ人が犯した大罪なのです。国際裁判所で裁かれるべきことは、アメリカ人による日本の民間人大虐殺です。「勝った国のいうことがすべて正しい」このルールは現在も引き継がれています。
 ポツダム宣言受諾によって、第2次世界大戦は終了しました。しかしポツダム宣言によって無条件降伏したのは日本軍であり、日本国ではないにも関わらず、マッカーサー元帥はまるで日本が無条件降伏したかのように、占領政策を行いました。

 日本国憲法は1946年に公布され、1947年5月に施行されました。GHQが自ら英文で原案を作成して政府に提示したと言われています。当時の日本は占領下にあり、主権がありませんでした。主権のない日本に、主権の発動である憲法が制定されるはずもなく、日本国憲法は進駐軍が植民地・日本の統治を都合よく行うために制定した占領政策に過ぎないのです。現在の憲法は、国民の総意に基づくものではありませんから無効です。従って姑息的な憲法改正ではなく、現行憲法をいったん失効した後に、新しい憲法を制定するのが筋です。

(2018.04.27)

「第二次世界大戦の真相 その2」PDF版 ダウンロード

「ロータリアンの広場」トップページ


上記内容に関してコメントができます。
コメント投稿には「Facebook」へのログインが必要です ▼